宇宙の漂流物、ネジ

夢と浮世を行ったり来たりしているライトワーカーです。

居場所がないところから突然ソースと自分の存在について理解した話

こんばんわ。
すてきブログの時間ですよ。

 

The Portal 更新されて、気になっていたアカシックレコードの話も、詳しい話が出てきていましたね。
アカシックレコードの削除というのは、事象の記憶が消えるわけではなくて、事象に伴った感情が削除されたということだったのですね。

 

人類全員が記憶喪失になるSFの世界みたいな話じゃなかった。
そりゃそうか。

 

その話を描こうと思っていたのですが、今日は別の話をしようと思います。
アカシックレコードの話はまたの機会に。

 

今日の話は、ソースと自分の存在の話です。

先に言い訳のように書いてしまいますが、この話、上手に書ける気が全然しません。
一度人に話してみたけど、全くうまくいかなかった。

 

上手くいかなかったけど、それがなんか面白いな、とも思ったので、ここで改めて、書いてみるだけ書いてみます。

 

そもそも私、説明がすごく苦手なんでした。
理論的な説明が苦手、というわけではなくて、自分の感情を、順序を追って説明するのが苦手です。

 

あのね、私、数秘術の運命数が33なんです。
33は説明するのを諦めがちなんだそうです。飛躍しちゃうからかな。
そういえば今まで必死で説明しようとしても、なんかちゃんと伝わらないから、しょうがないなーって、諦めてたんですが、そういうものなんだったら、そういうものなんでしょう。

でもここは、私のブログですからね。
頑張って説明しよう。

 


なんだっけ居場所がない話でしたね。

 

居場所がないって、ずっと子供の頃から思っていました。
実家である自分の家は、なんだか、キャンプしている野営地みたいな感じ。
拠点に戻るけど、リラックスしたり寛いだり、そういう空間っていう感じではありませんでした。なんか次に向けて、休んで準備する場所みたいな。

 

大人になって一人暮らしをし始めて、この家は「自分の城だ」なんて思ってみたりもしたけど、心の根っこのところでは「仮住まい」な、感じ。
「リラックス」とか「くつろぐ」とか、そういうのはよくわかんない。
休日、1日家にいるのは全然苦にならないけれど、何かゴソゴソずっとやってる感じ。

 


「くつろぐ」のイメージはコーヒーカップにコーヒーを入れて、日向ぼっこしながら本を読むとか?
毛足の長い猫を膝に乗せて、高級そうなソファーに座ってぼんやりするとか?(発想が貧困)

 

コーヒーカップと本と日向ぼっこぐらいはできそうなものだけど、その通りにやってみても、「くつろいだ」感じはしないのでした。
なんでだろ。
ソワソワ、ゴソゴソしてしまいます。

 


そういうわけで、すごく困っているわけではないけど、なんか気になることとして、この問題は常に頭の隅にあったのでした。

 

で、宇宙人だと自覚のある皆さん、ぜひ、筋肉反射テストのやりかたを知っていたらやってみてください。私は
「地球上でくつろぐとは何か知っている」とか
「地球上で安心していられる場所がある」とか、全然持っていませんでした。
知らないんじゃしょうがないね。

 


さらに。
「居場所がないこと」について、深く掘り下げて行きました。
どうしたら安心できるのか?とか、どういう状態だったら、くつろいでいられるのか?とか、考えていたら、どうやっても、くつろいだ状態にはならない、ということがわかりました。なんということでしょう。

 


ここからが本題です。(今まではなんだったの)

たとえば、公園で遊んでいて、誰かに追い出されたら腹が立ちます。
「私が先にいたのに」と思います。
宇宙のどこかから、地球にやってきた宇宙人は、「自分は後から来たので、ここは自分の場所じゃない」と思います。

 

何か、「先にいた」とか、「後から来た」とか、そういうことを気にしているのかな?と思って、じゃあ、自分がもともといた場所だったらリラックスできるのか?と自問してみました。

 

ここで、急に論理の飛躍が起こりました。
自分がどこからやってきた存在かを思い出すと、宇宙ができたビックバンまで遡ってしまいました。そして、自分の魂も、そこここにある星も、地球も、地球上に今住んでいる人々も全て、同じ成分でできているのです。ビックバンの時にボーン!と出てきたのです。

 

元々同じものが、別々に分かれて、「私」を作ったり、「星」を作ったり、「他人」や「良い人」や「悪い人」になっていきました。

 

だから、全宇宙のあらゆる物質は「私」と同じ、ソース由来のもので、「他所から来た」とか、「先にいた」とか、「自分のものだ」とか、そういうの関係ないの。
ということが、急に「わかった」のでした。

 

そういうわけで、最初の問いに戻ると「居場所がない」という「居心地の悪さ」は、「居心地が悪い」と思っている自分がいるというだけで、べつに、どこにいても良いし、どこも同じ、ということがわかりました。

うまく説明できていますかね。(とてもうまいとは思えないな)

 


不安定でも、キャンプしていても、宇宙船の中にいても、なんでも、どこにいても同じ。と思ったら、なんか、「居場所がない」問題を消化というか、受け入れることができたのでした。「居場所がない」なんて幻想だ。

 


地球上で、「ここから先は私有地です」とか、「ここは誰々の国です」とか、地球人たちは境界線を主張しているけれど、もともとその人の土地じゃないもんね。
開拓した誰かがいただけで、もとは人間の個人のものじゃないもんね。

とはいえ、どこかに居なきゃいけないので、ひとまずそこのルールに従いますが。という感じ。

 


私、ある時、ある人に、「ネジちゃんはグラウンディングしないぐらいがちょうどいいよー」って言われたことがありました。
今は意味がわかったよ。
どこかに定着してリラックスできる場所を探すより、どこにいても同じだからと思ってフワフワしていた方が私は気が楽です。


おんなじ感覚の人、いるかな?